前橋地方裁判所 昭和55年(ワ)102号 判決 1985年11月12日
原告
松永克己
右訴訟代理人
角田義一
山田謙治
出牛徹郎
若月家光
高田新太郎
高坂隆信
飯野春正
野上恭道
野上佳世子
大塚武一
白井巧一
金井厚二
広田繁雄
富岡恵美子
吉村駿一
小林勝
小野寺利孝
山下登司夫
二瓶和敏
戸張順平
服部大三
友光健七
畑江博司
滝澤修一
仲山忠克
花岡敬明
堀野紀
高山俊吉
安田寿郎
山本高行
土田庄一
堀敏明
難波幸一
大久保和明
被告
東レ株式会社
右代表者
藤吉次英
被告
帝国硫黄工業株式会社
右代表者
加藤良雄
右両名訴訟代理人
根本松男
柴田真宏
松崎昇
主文
原告の各請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告に対し、金八八〇〇万円及び内金である別表一1ないし15年収欄記載の合計四三一九万七六三〇円については同1ないし15年収欄記載の各金員に対する同1ないし15遅延損害金欄記載の各期日から、内金三八〇〇万円に対する昭和五五年五月二〇日から、内金六八〇万二三七〇円に対する昭和五九年七月一一日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言(右1項につき)
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一請求原因
1 当事者
(一) 被告東レ株式会社(以下「被告東レ」という。)は合成繊維の製造等を目的とする、被告帝国硫黄工業株式会社(以下「被告帝硫」という。)は鉱物の採掘・製錬等を目的とする各株式会社である。
(二) 原告
(1) 原告(大正一五年八月八日生)は、昭和一六年に尋常高等小学校を卒業し、機械工として働いたが、戦後一時金物問屋の店員をした後、昭和二三年からはとび職として働いた。
(2) その後、昭和二六年一二月九日から昭和四四年三月一五日まで、被告帝硫に雇傭されて吾妻鉱業所における作業に従事し、昭和二八年ころから退職までの間一貫してスクレーパー作業にたずさわつていたものである。
2 スクレーパー作業の労働実態
(一) 被告帝硫の吾妻鉱業所においては、硫黄の採掘・製錬の一貫作業を行つていたが、その作業工程は、坑内で採掘された硫黄鉱石が坑外の選鉱場において塊鉱と粉鉱に仕分けされ、塊鉱については焼取製錬の方法で製錬され、その鉱滓はスクレーパーによる処理を経て充填材として坑内へ搬送され、粉鉱については蒸気製錬の方法により製錬され、その鉱滓はパワーポンプによつて充填材として坑内に圧送されるというものであつた。
スクレーパーは、鉱滓の処理を合理化するため、昭和二八年ころ設置されたものであり、その仕組は、製錬所の建物に平行して掘られた深い溝に焼取製錬により生じた鉱滓を捨て、これを溝の底部でバケット(鉄製の籠)を移動させて排出するというものであり、バケットは、これにつながれたワイヤーロープを、右の溝の直接上に僅か離れて建てられた運転小屋内に設置されたスクレーパーホイスト(動力巻取機)の操作で巻き取ることにより、前後に移動される。
スクレーパー作業は、スクレーパーホイストを運転する(その整備・修理を含む。)ことのほか、バケットにつながつているワイヤーロープを保全するほか、鉱滓が溝に捨てられる際にワイヤーロープが高熱の鉱滓に触れて焼き切れないように、一旦運転作業を中止して溝の中に入り、溝の底部からこれを持ち上げて溝の上に張られた針金のフックに引掛けることや、これが切れたときの補修作業を含むものであつた。
右作業において、スクレーパーホイストの運転中には、鉱滓が溝に捨てられた際や、溝の中をバケットが移動する際に発生した粉じんは、運転小屋が簡易なもので外部との遮断が極めて不十分であつたため、そのワイヤーロープの出入口やドア、窓のすき間等から内部に侵入し、また、ワイヤーロープがドラムに巻き取られる際にこれに付着した鉱滓がはじかれて粉じんが飛散するなど、運転小屋内には大量の粉じんが充満し、ひどい時には、目も口もあけていられない程であつた。
(二) スクレーパー作業の勤務時間は、当初は暫定的に午前八時から午後四時までの日勤だけであつたが、間もなくこれに午後一〇時から翌朝五時までの作業時間が加わり、二交替制となつた。
しかし、溝を掃除するために連日残業を強いられ、一か月の残業時間は平均四〇時間に及んだ。また、二系統のスクレーパー作業が行われるようになつたが、この職種に就いていたのは原告一名で、他は雑役夫の中からその日毎に交替要員が割り当てられるという状況であつて、この交替要員が見つからない場合が度々あり、通し番(連続勤務)を余儀なくされることが多かつたし、日曜は一応休日とされていたが、その半分以上は出勤しなければならなかつた。
昭和三七、八年ころから製錬は三交替となり、鉱滓量も増加したが、スクレーパー作業の設備、人員は拡充されず、労働は一層強化された。
他方、スクレーパー職種は生産に直接関与しないとの理由で、その賃金は極めて低額で、残業等をしなければ生活を維持できない状態であつた。
要するに、スクレーパー作業においては、人員不足と低賃金とにより、原告らをして長時間過酷な労働に応じざるを得ない条件を生み出していた。
3 原告のじん肺罹患
(一) じん肺
(1) じん肺とは、各種粉じんの吸入により生ずる肺疾患である。粉じんを吸入した結果、肺内に排出不可能な粉じんの付着・滞留が生じ、①リンパ腺の粉じん結節、②肺野のじん肺結節、③気管支炎・細気管支炎・肺胞炎、④肺組織の変性・壊死、⑤肺気腫、⑥肺内血管変化の病変が一連のものとして発生、進行し肺機能が害される。
(2) その特徴としては、次の三点である。
第一は、不可逆性である。早期の気管支炎のみの段階で治療を行なえば治療効果があがり、じん肺が防止できるが、一旦肺に生じた線維増殖性変化、気道の変化である慢性気管支炎、肺気腫の変化は治療によつても元の正常な状態に戻ることがない。
第二は、慢性進行性である。右の疾患は、粉じん職場を離れても、進行しつづける。この進行速度を決定する要因は、粉じんの吸入量とその質(けい酸分の多い場合には肺の線維化が強くあらわれる。)である。
第三は、全身疾患である。慢性の気管支炎を伴い、肺気腫をひき起すことにより、肺の血管を障害し、心臓の負担を増大してその衰弱を生ぜしめる(肺性心)。また、現行じん肺法施行規則では、肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管拡張症、続発性気胸の五つの合併症があげられているが、これ以外に各種の肺炎、各種の癌が高い頻度で伴うだけでなく、心不全、消化管潰瘍等を発生させることが多い。
(3) その基本症状は、最初の自覚症状として呼吸困難、息切れであり、次いで、咳、痰があらわれる(但し、気管支炎の合併のある場合は、息切れの前に咳、痰を認めることがある。)。症状が進行すると、必ず酸素吸入を常時やらなければならない状況が必然的に起つてくる。
(4) じん肺患者の死因は、典型的に進行したときは、肺性心であるが、その途中で、各種の炎症、気管支炎、気管支肺炎で死亡する例が一番多い。
(二) 罹患の経緯
(1) 原告は、右作業環境の下でけい酸含有量の多い粉じんを多量に吸入した結果、じん肺(けい肺)に罹患した。
原告は、昭和四二年一月三〇日、じん肺法(昭和五二年法律第七六号による改正前の四条)による健康管理の区分管理二と決定され、そのころから体のだるさや疲れやすさを感じるようになつた。そこで、原告は被告帝硫に作業転換を申し入れたが、これを拒否されたため、その後もスクレーパー作業を続けた。そのため、症状は急激に悪化し、昭和四三年暮れころになると、さらに疲れやすくなり、作業中の息苦しさを感じるようになつた。そこで、原告は被告帝硫に退職を申し入れたが、新しい機械の据付けまで待つよう要請され、これを思いとどまつたが、その後一層症状が悪化したため、翌四四年三月一五日、被告帝硫を退職したが、その際の健康診断に基づき、同年一〇月二〇日健康管理の区分管理四に認定された。(その通知は同年一二月中頃に受けた。)
(2) 昭和四五年一月から五月まで入院加療し、その後は通院治療を続けているが、その間、息切れ、動悸、咳、痰に加えて、昭和四八年ころには貧血状態、そして昭和五一、二年ころには呼吸困難の増大のほか、胸の圧迫感の出現が始まり、昭和五五年ころには右の諸症状がさらに強まるという経過をたどつている。
そして、現在においては、右諸症状により、会話や僅かな動作にも非常な影響を受け、苦痛を伴うため、会話、外出や行動をさし控え、ほとんど家の中で横になつた生活を余儀なくされ、さらに、これらの症状は一層速度を早めて増悪する状態である。
4 被告らの責任
(一) 被告東レによる被告帝硫の支配
(1) 被告東レは、次のとおり、被告帝硫を自己のレーヨン生産の必要不可欠な生産部門ないし一工場として組み込み、経営全般について完全に支配した。すなわち、
(イ) 被告東レは、昭和一〇年ころから生産の拡大を図るとともに、コスト切下げのため、原料・薬品の自給化対策を打ち出していつたが、とくにレーヨン生産に必要な二硫化炭素の自給策として、昭和一四年二月、被告帝硫に出資してこれを自己のいわゆる子会社として系列化し、さらに二酸化炭素の原料である硫黄の生産そのものをも自己の支配下で行うため、昭和一五年にその全面的な出資のもとに被告帝硫に吾妻鉱山を買収させて同鉱山において硫黄の採掘・製錬を行わせ、そのほとんどを低価格で買い取つていた。
したがつてまた、被告帝硫の事業計画や設備投資も被告東レの必要に応じて行われた。
(ロ) 被告東レは、資本的関係については、昭和一四年以降、被告帝硫の株式を、自己名義ではもちろん、取締役等役員にも保有させるなどして常時そのほとんどを保有していたのであり、また、人事関係については、吾妻鉱山買収後も一貫して、その取締役や社員を、被告帝硫の役員、吾妻鉱業所の所長、課長などとして派遣して人事を掌握し、さらに、労務管理・労務政策についても、その方針を被告帝硫に導入するなどしてこれをその支配下においた。
(ハ) 被告東レは、昭和四六年五月そのレーヨン事業の転換政策に基づき被告帝硫の労働者の強い反対を押し切つて自己の全面的責任のもとに吾妻鉱業所を閉鎖した。
(2) 被告東レの被告帝硫に対する右の支配関係のもとでは、被告東レは被告帝硫に雇傭される個々の労働者に対する労働条件等労働関係について、直接、具体的支配力を有し、これを支配従属関係の下においていたといわざるを得ない。
(二) 予見可能性
(1) じん肺、ことにけい肺は、古典的な職業性疾患であり、粉じん労働により発生することはすでに戦前から知られていた。すなわち、外国においてはすでに古代ローマ時代に、わが国においても延宝年間に鉱夫の疾患として指摘されていたところであり、近代的医学研究も一八九〇年代の南ア金山のけい肺研究にはじまり、ILOもその対策につき一九三〇年以来国際会議を継続している。わが国においても、戦前から研究がなされ、戦後は労働省が昭和二三年に金属鉱山労働者を対象にけい肺一斉検診を実施した結果その対策が急がれ、昭和三〇年にはけい肺罹患労働者の症状増悪防止のための作業転換、療養・休業給付等を定める「けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法」(昭和三〇年法律第九一号。以下「けい肺等特別保護法」という。)が、昭和三五年にはじん肺に関して適正な予防、健康管理その他の措置を定める「じん肺法」(昭和三五年法律第三〇号)が施行されるにいたつた。
被告帝硫吾妻鉱業所においても、昭和二五、六年ころにはけい肺の発生原因・病状、防じんマスク着用の必要性等を解説したパンフレットを従業員に配付しており、右特別保護法施行に応じて昭和三一年には労働組合との間に防じん対策、補償等につき「けい肺協定」が締結されている。
(2) したがつて、被告らは、昭和二八年当時には、スクレーパー作業による粉じんが身体に有害であり、原告が右粉じん吸入によりじん肺に罹患することを予見することができたものというべきである。
(三) 被告らの義務違反
被告帝硫は原告を直接雇傭していたものであり、被告東レは前記のとおり被告帝硫、したがつてまた原告ら個々の労働者を実質的に支配していたことにより労働契約の当事者となるものというべきであるから、いずれも使用者として原告のじん肺罹患を防止すべき労働契約上の安全配慮義務又は不法行為法上の注意義務を負つていたものであるところ、以下のとおり、これを怠り、原告をじん肺に罹患させ、原告に後記損害を蒙らせたから、被告らはこれを賠償すべき義務がある。
また、被告東レについては、仮に、原告に対し右の安全配慮義務又は不法行為法上の注意義務が認められないとしても、前記((一)、(1)の(ハ))のとおり、自己の全面的な責任で企業閉鎖を強行したわけであるから、かかる事実関係の下においては、被告帝硫の業務遂行中に現実に損害を蒙つた原告に対し、自らその賠償債務を引き受けたか、若しくは被告帝硫の賠償債務を保証したというべきであるから、いずれにしても後記損害を賠償すべき義務があると解される。
(1) 粉じん発生防止・抑制義務違反
スクレーパー作業においては、前記のとおり、運転小屋内での操作、ワイヤーロープの保全、補修の各作業を通じて、多量の浮遊粉じんにさらされる状況にあつた。したがつて、被告らはその発生等の防止に努めるべきであるのに、これを怠つた。
(イ) 原告が従事した右作業は、焼取製錬に伴うものであるが、焼取製錬は極めて多量の粉じんが発生する製錬方法であり、これに対し蒸気製錬は粉じんの発生はなく、スクレーパー作業の必要もないのであるから、すべて蒸気製錬の方法によるべきであつたのに、経費上の問題から、これをしなかつた。
(ロ) また、焼取製錬の方法をとり、スクレーパー作業を採用したうえは、動力巻取機の操作及びワイヤーロープの保全作業を完全遠隔操作化するなどして作業空間と粉じんの浮遊している外界とを完全に遮断することや、或いは運転小屋内に侵入した粉じんを除却するために全体換気装置や局所排気装置を設置することなどにより粉じんの発生を防止すべきであつたのに、なんら有効な方策をとることがなかつた。
(2) 体内侵襲防護義務違反
粉じん発生の防止・抑制が十分になされない場合、粉じんが体内へ侵襲することを防止する措置が必要である。そして、当時すでに防じんマスクの国家検定が行われ、これに合格したマスクがあつたにもかかわらず、被告帝硫は昭和三〇年ころまでは防じんマスクを支給することをせず、また、昭和三一年からはマスクを支給したものの、ろじん効果の不十分なJIS非合格品のスポンジマスクを支給したにすぎなかつた。
さらに、粉じんの吸入を少なくするため、賃金水準を低下させず、労働時間を短縮するなど労働条件を改善して粉じん曝露時間を短くすべきであるのに、なんらの措置もとらず、前記のとおり長時間に及ぶ残業等を恒常化させた。
(3) 健康管理義務違反
じん肺罹患者に対しては、軽症の段階で配置転換等の適切な措置をとる必要があり、定期健康診断等の実施によりこれを早期に発見することが必要であるのに、じん肺有所見者以外に対してはじん肺特別健康診断の厳格な実施をなさず、年に一、二回の一般的な定期健康診断を行つたにすぎなかつた。
また、昭和四二年に原告が管理二に決定されたのであるから、原告の作業転換をなすべきであるのに、原告の申し出にもかかわらず、転換する職場がみつからないとの理由でこれを拒み、さらに、昭和四三年末ころに原告が退職を申し出た際にもこれを拒否するなどして、原告の病状を悪化させた。
(4) 安全衛生教育義務違反
じん肺の発生を防止し、又はこれを早期に発見するためには、労働者のじん肺に対する十分な理解が必要であり、そのために安全衛生教育を行う必要があるのに、被告らはこれを全く行わなかつた。
5 損害
原告は、前記じん肺の罹患により、以下のとおり損害を蒙つた。
(一) 逸失利益
原告は、じん肺に罹患する以前は、通常人の労働能力・意欲を有していたものであつて、これは原告の被告帝硫における労働実態・能力からみて明らかであるから、逸失利益の算定は、賃金センサス第一巻・第一表「産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計」によるべきである。
原告は、昭和四四年三月一五日被告帝硫を退職したが、それ以降は労働能力を一〇〇パーセント喪失したものというべきであるから、その六七才までの逸失利益(昭和五九年以降については、昭和五八年の賃金センサスによる金額に基づき、新ホフマン方式により昭和五九年の現価に換算)は、別表一のとおり、七三八六万五四四二円となる。
(二) 慰謝料
被告らの加害の態様、とくに防じん対策につき原告の申入れに対しほとんど適切な処置をとらず、原告の作業転換の要請さえも拒否したこと、原告はじん肺罹患により長年月にわたり息苦しさをはじめとする呼吸障害その他の全身的な身体障害を蒙り、労働能力を喪失するにいたり、全生活関係を奪われたこと、その病状はさらに悪化し続けるものであり、常時死の不安に怯えさせられていること、その他諸般の事情からすれば、原告が蒙つた精神的苦痛を慰謝すべき金額としては金三〇〇〇万円を下ることはない。
(三) 請求損害額
右逸失利益七三八六万五四四二円のうち、五〇〇〇万円と慰謝料三〇〇〇万円の合計八〇〇〇万円を請求する。
(四) 弁護士費用
原告は、本訴の提起・追行を原告代理人らに委任し、その報酬として、右請求損害額の一割相当額である金八〇〇万円を本訴第一審判決言渡時に支払う旨約した。
6 よつて、原告は、被告らに対し、労働契約上の安全配慮義務の不履行又は不法行為による損害賠償請求権(なお、被告東レに対しては、被告帝硫の右債務についての引受又は保証契約)に基づき、各自、(1)前記損害金(5の(三))八〇〇〇万円及び(2)弁護士費用八〇〇万円並びに右(1)の内金である別表一1ないし15年収欄記載の合計金四三一九万七六三〇円については同1ないし15各遅延損害金欄記載の各期日から、右(1)の内金三〇〇〇万円(慰謝料)と右(2)の八〇〇万円の合計三八〇〇万円については本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五五年五月二〇日から、右(1)の内金六八〇万二三七〇円(将来の逸失利益)については請求の趣旨変更の申立書が被告に送達された日の翌日である昭和五九年七月一一日から、各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)の事実は認める。
同(二)(1)の事実は不知
同(二)(2)の事実は、被告帝硫は認め、被告東レは不知
2 請求原因2に対し
(一) (一)の事実につき
被告帝硫は、粉じんの程度については否認し、その余は認める(但し、エンクラインの運転は鉱滓が運搬されてきた後これを処理する間だけ行われるのであつて、処理が終了し次の鉱滓が運ばれるまでの間に保全作業が行われたのである。)。
被告東レは、被告帝硫が吾妻鉱業所において硫黄の採掘・製錬を行つていたことは認めるが、その余は不知
(二) (二)の事実につき
被告帝硫は、作業時間が当初午前八時から午後四時までの日勤であり、その後これに午後一〇時から翌朝五時までの作業が加わり二交替制になつたこと、ある時期から二系統のスクレーパーが設置されたこと、昭和三七、八年ころ製錬が三操業となり鉱滓量が増加したことは認めるが、その余は否認する。
被告東レは、いずれも不知
3 請求原因3に対し
(一) (一)の事実は争う。
(二) (二)の事実につき
被告東レは、右事実はいずれも不知
被告帝硫は、原告がその主張の日に管理二、四にそれぞれ決定されたことは認めるが、その症状は不知、その余の事実は否認する。
4 請求原因4に対し
(一) (一)につき
(1) 同(1)冒頭の主張は争う。
被告帝硫は、被告東レとは別個の法人格を有するものであり、また被告東レがその経営について直接支配していたものではない。
(2) 同(イ)ないし(ハ)の事実は否認する。
(イ) 被告帝硫の生産した硫黄の多くが被告東レに供給されたが、その生産量の全部ではない。昭和一五年ころ最も多いときでも実質八〇パーセント(但し、その半分は東レの関係会社である昭和工業向け)、位であり、昭和三〇年代に入ると漸減して昭和四〇年には約二〇パーセントにすぎない。
その価格も一般市場価格なみであつた。
(ロ) 被告東レは昭和一四年に被告帝硫の株式の過半数を取得したが、原告の在職中その持株比率は六〇パーセントを超えたことはないし(約四〇パーセント余の株式はいわゆる一般株主の保有である。)、被告帝硫の株式は昭和二六年から昭和三八年までの間東京証券取引所に上場されていた。
また、被告らの取締役の兼任は、原告の在職中は二名にすぎないし、うち一名は被告帝硫では非常勤である。被告らの代表取締役の兼任及び被告東レの従業員と被告帝硫の取締役の兼任は、いずれも存在しない。
さらに、事業計画や生産計画、予算等は被告帝硫が独自に決定したし、労務対策や組合関係についても、被告東レが指示を与えたり、介入したりすることは全くなかつた。
(ハ) 被告東レは被告帝硫が第三者に硫黄を販売することを拘束したことはなく、被告帝硫が吾妻鉱業所を閉鎖したのは、専ら天然硫黄の不況に基づくものであり、被告東レが自己の責任でこれをなしたわけではない。
(二) (二)につき
(1) 同(1)の事実のうち、その主張の各法律が施行されたこと、主張のパンフレットを従業員に配付したこと及び主張の協定が締結されたことは認めるが、その余の事実は争う。
(2) 同(2)の主張は争う。
(三) (三)の冒頭の主張及び同(1)ないし(4)の事実は、いずれも争う。
(1) 粉じん発生の防止について
蒸気製錬は、粉じんの発生しない硫黄製錬方法であるが、鉱石の品位が高いものでなければならないこと、不純物の完全な除去が難しいこと、多量の水が必要であるのに吾妻鉱業所においてはこれを調達することが困難であつたこと、及び蒸気製錬から発生する鉱滓は水に含まれた微粒子という流動性の形態(スライムという。)をとるためにその流出を防ぐための大規模な堰堤が必要であることなどの理由から、これを全面的に導入することは不可能であつた。
また、遠隔操作装置は、作業能率が著しく低下するため実用化できなかつたし、全体換気装置や局所排気装置は、これを有効なものとするには極めて大規模なものとならざるをえず、とうてい現実的なものではない。
スクレーパー作業は、坑内と異なり開放された場所における作業であり、粉じんの程度もそれほどひどいものではなかつたから、運転小屋を設置することにより粉じんが直接吹きつけるのを防ぐこと、ワイヤーの出入口に幕を張つて粉じんの侵入を防ぐこと、運転小屋に換気扇を設置することなどにより、相当に粉じんの抑制をはかることができていた。
(2) 体内侵襲防護について
(イ) 防じんマスク
被告帝硫は、遅くとも昭和三一年までには原告を含む作業員に対してマスクを無償貸与しており、マスクの種類も慎重な検討の結果最適のものとして選ばれたものであつた。
(ロ) 勤務時間、給与
仮に、残業、通し番、日曜出勤等の事実があつたとしても、原告の損害と因果関係はない。
原告は固定給を支給されていたが、固定給である六種の職種の中ではスクレーパー作業員は上から二番目の高い職種に属していたのである。その金額は採鉱、製錬工(固定給と出来高制の併用)に較べると劣るものの、それ程の差があるわけではない。したがつて、被告帝硫が低賃金の方策をとることにより、原告をしてやむなく長時間粉じん曝露の作業に就かしめたということはない。
(3) 健康管理について
被告帝硫は、昭和二五年から吾妻鉱業所内に診療所を設置して医師を常駐させて従業員の健康管理にあたり、年一回(採鉱、製錬工については年二回)の定期健康診断を実施していたし、けい肺等特別保護法及びじん肺法の施行後は、各法律の定めるところにより、就業時及び三年に一回のけい肺(じん肺)健康診断を実施していた。
(4) 安全衛生教育について
被告帝硫は、昭和二五、六年ころから、けい肺に関する一般的注意事項を記載したパンフレットを従業員に配付していた。また、昭和三〇年のけい肺等特別措置法施行に応じて、労使間で「けい肺協定」(昭和三六年には、これを充実したじん肺協定を締結)し、これに基づいて昭和三二年には労使双方の委員からなる防じん対策委員会が設置されてじん肺予防教育をはじめとする諸方策が労使間で協議され、かつ実施されていた。
また、粉じんの危険性につき、従業員自らが外部の講習会等で直接知識を吸収することも奨励していたのであり、原告自身も昭和三二年にけい肺予防・粉じん防止の外部講習会へ出席を命ぜられた。
5 請求原因5に対し
(一) (一)の事実は争う。
原告の逸失利益については、原告の退職から被告帝硫が吾妻鉱業所を閉鎖した昭和四六年までの間は、原告が退職した際の年間給与額である八五万八二六〇円を基礎として、それ以降は賃金センサスの鉱山業務に従事する生産労働者(男子)小学・新中学卒の平均給与額を基礎として算定すべきである。
また、原告は、一か月に一回の通院のほか、支障はあるものの日常生活は他人の助けを借りずに送ることができ、全国じん肺患者同盟の活動を活発に行つていることからすると、少くとも二〇パーセントの稼動能力は残存しているものというべきである。
(二) (二)、(四)の事実は争う。
三抗弁
1 時効
原告主張の各損害賠償請求権は、以下のとおり消滅時効が完成しているので、被告らは各時効を援用する。
(一) 不法行為に基づく請求について
原告が被告帝硫を退職した昭和四四年三月一五日又は遅くとも管理四の決定通知を受けた同年一二月から三年の経過により右損害賠償請求権は時効により消滅した。すなわち
(1) 損害の認識
原告は管理二に決定された昭和四二年一月当時すでにじん肺の自覚症状があり、それが増悪して被告帝硫を退職したのであるから、右退職日又は遅くとも管理四の決定通知を受けた時には「損害の発生」を認識していた。
そして、昭和四四年当時はすでにじん肺症は進行するものであることが一般に知られていたことであり、原告主張のような症状の悪化は、じん肺が進行した場合には現われてくるものとしてその当時において当然予想し得たものである。したがつて、原告においては、右退職時には損害のすべてを知つていたというべきである。
(2) 加害者の認識
原告は昭和三二年及び昭和三四年当時労使間のじん肺協定に基づく防じん対策委員会の委員を二期務め、かつ、同時期には被告帝硫の労働組合の執行委員、昭和四一年には副執行委員長でもあつたうえ、じん肺協定をめぐつてじん肺被害の補償を中心に労使間にストライキを含む厳しい交渉の行なわれた昭和三四年当時労働組合の組宣部員の任にあつた。これらの点に鑑みれば、原告においてはじん肺発症に対する加害者は同被告であることを知つていたことは明らかである。
(3) 加害行為の違法性の認識
原告は、被告帝硫の従業員であつた当時、じん肺罹患のはるか以前からその従事したスクレーパー作業場では粉じんの発生が著しく、現実に施行された防じん措置だけでは不十分であり、より完全な防じん措置をとるべき義務が会社にあると考え続けてきたものであり、そして、原告は現実にじん肺に罹患したのであるから、原告にとつてその時点での粉じん防止措置が原告の罹患を妨げるに十分でなかつたことが明らかになつたわけである。これによれば、原告において、遅くとも管理二の通知を受けた昭和四二年一月三〇日の時点から、同被告が原告の希望、要求した程度の防じん措置をとらなかつたことが不法であると認識していたといえる。
(4) 要するに、原告が管理四に該当する病状にいたり、かつ、被告帝硫を退社した昭和四四年三月一五日の時点で被告らの加害行為は終了し、損害が発生し、原告は損害及び加害者(かつ行為の違法性)を知つたものであり、また、その後発生したという損害はすべて当該時点で予見可能であつた。
(二) 債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく請求について
原告が被告帝硫を退職した昭和四四年三月一五日から五年、そうでないとすれば一〇年の経過により右損害賠償請求権は時効により消滅した。すなわち
(1) 債務不履行による損害賠償請求権はその本来の債務の履行に代わるものであるから、その消滅時効は、その権利を行使するにつき法律上の障害のない限り(事実上の障害とみるべき、権利の存在や行使の可能性についての知・不知はなんら影響がない。)、本来の債務の履行を請求しうるときから進行すると解すべきであり、したがつて、本件において原告が本来の債務である安全配慮義務の履行を請求しえたのは遅くとも被告帝硫を退職した昭和四四年三月一五日であるから、同日をもつてその起算日とみるべきである。
(2) そして、安全配慮義務は、商事会社たる被告らにとつて商行為である雇傭契約に附随する債務であつて、同じく商行為によつて負担されたものとみるべきであるから、右退職の日から五年の経過により時効が完成した。仮に、商行為による債務ではないとしても、一〇年の経過により、時効が完成したものである。
2 損害填補
原告は、別表二の受給年欄記載の翌年三月三一日までに、労災年金等欄記載の労働災害補償保険法に基づく休業補償金、傷病補償年金、特別支給金を、厚生年金欄記載の厚生年金保険法に基づく傷病年金を、特別加算金欄記載の被告帝硫と労働組合との間に締結されたじん肺協定に基づく特別加算金をそれぞれ受領したから、原告の損害額からこれを控除すべきである。
四抗弁に対する認否
1 抗弁1に対し
(一) 同(一)(不法行為による損害賠償請求権の消滅時効)につき
(1) 冒頭掲記の主張は争う。その主張事実中、いずれもその主張の日、月に、原告が被告帝硫を退職したこと及び管理二と四の各決定通知を受けたことは認めるが、その余の事実は争う。
(2) 民法七二四条の「損害及び加害者を知る」とは、損害賠償請求が事実上可能なもとに、それが可能な程度に具体的資料に基づいて損害及び加害者を知り、かつ、加害行為が不法行為であることを正確に認識することを意味するものと解すべきところ、原告においては、右いずれの要件も充足していない。すなわち
① 損害の認識
じん肺症は前記のとおり進行性の疾患であり、通常の身体被害にみられる如く、いわゆる「症状固定」という概念は全くあてはまらず、将来どのような過程を経て死にいたるのか、或いは将来どのような苦痛をどの程度の期間継続して受けることになるのか容易に予測し難いことであつて、原告の病状も現在なお進行を続けている。したがつて、かかる場合には、その進行が止む死亡時までは損害を認識することはあり得ないから、死亡にいたるまで時効は進行しないものというべきである。
② 加害者の認識
原告は、被告帝硫を退職後吾妻鉱業所を離れて前橋市において療養生活を続けていたが、昭和四六年五月の吾妻鉱業所の閉鎖により同被告の会社としての組織も消滅したものと誤認していた。そして、昭和五三年一〇月ころになつてはじめて、じん肺弁護団の調査を通じて同被告の会社組織としての存続の有無及び同被告と被告東レとの支配関係を知るにいたつた。そこで、原告のかかる誤認の間は加害者を知つたという評価をなし得ないものであるから、原告が加害者を知つたといえるのは、早くとも昭和五三年一〇月以降と解すべきであり、したがつて、右損害賠償請求権は未だ時効期間を経過していない。
③ 加害行為の違法性
原告は、被告帝硫に在職中、同被告が労働基準監督署等によつて発じんについて指導を受けたり、違反の摘発を受けたりしたことを聞いたことがなかつたことなどから、同被告に発じんに関するなんらかの法違反があるとは考えていなかつたのであり、昭和五三年一〇月に開催されたじん肺弁護団との交流会において同弁護団からじん肺発生企業が損害賠償義務を負うことを知らされ、これによつてはじめて被告らの加害行為の違法性を知るにいたつたのである。
なお、原告自身粉じんが有害で、じん肺症の罹患のおそれも感じていたので、自らも防じん対策を工夫しながら、他方、予算上の制約があるにしても許す限りにおいて被告帝硫が発じん防止対策を講ずるべきであると考えることはあつたが、かかる感情を抱くことが被告らにおいて損害賠償義務を負うべき作為義務を有するとの認識まで持つにいたつたとはとうていいえないところである。
(二) 同(二)(債務不履行による損害賠償請求権の消滅時効)につき
(1) 冒頭掲記の主張は争う。
(2) 安全配慮義務と、その違反によつて生ずる損害賠償請求権は、その目的・性質・機能を異にし、全く同一性はなく、本来の債務と従たる債務或いは本来の債務の変形という如き関係にはない。むしろ右賠償請求権は不法行為責任と同性質のものであり、結果が発生して初めて請求権発生の法的要件が備わるものとみるべきであるから、退職時を時効の起算日とすべきではなく、不法行為と同様に、「損害及び加害者を知つた時」をもつて、民法一六六条一項所定の「権利を行使することを得る時」と解すべきである。なお、じん肺の場合粉じん吸入後一〇年以上の経過を経てはじめて発症する例もめずらしくないのであるから、このような場合被告ら主張のごとく退職時においてすでに消滅時効期間が進行するとするならば、損害が発生しないのに一〇年の経過により時効が完成することとなり、被害者にとつて堪え難い結果となる。
また、安全配慮義務は、使用者においてはその支配下にある労働者の生命、身体、健康を保持する諸措置をとらなければならない、とする関係から導き出される信義則上の義務であり、直接雇傭契約から生ずる義務ではないから、雇傭契約が商行為であるからといつて、商事時効期間の適用を受けるものではない。したがつて、その時効期間は「権利を行使することを得る時」から一〇年とみるべきである。
要するに、民法一六六条一項の「権利を行使することを得る時」とは、同法七二四条の「損害及び加害者を知りたる時」と同様に解すべきであるから、、前記のとおり、本件においては、被害及び加害者の認識並びに被告らが損害賠償請求の基礎となるような安全配慮義務を有していたか否かの認識のいずれをとつても、未だそれらの認識が形成されて一〇年の経過をみていないことは明らかである。
2 抗弁2に対し
その主張は争う。
労災保険金は、労働者とその遺族の生活を保護するための労働基準法上の補償制度を果たすことを目的とするもので、また厚生年金も、その保険料の半額を労働者に負担させる、まさに生活保障を目的とするものであつて、いずれも損害を填補するものではないから、これを控除すべき理由はない。
五再抗弁
(一) 時効の中断
仮に、原告の安全配慮義務違反による損害賠償請求権の消滅時効の起算時が、原告が管理四と決定されたことを知つた昭和四四年一二月二一日ころであるとしても、原告は昭和五四年一一月三〇日到達の書面により、被告らに対し右損害賠償金の支払を催告し、その後六か月以内に本件訴えを提起したから、これによつて時効は中断した。
(二) 権利濫用
仮に、原告の安全配慮義務違反による損害賠償請求権が、原告が被告帝硫を退職した昭和四四年三月一五日から一〇年の経過によつて時効が完成するものとしても、以下の経過に照らして右時効の援用は権利の濫用に該当する。すなわち
原告は、昭和五四年三月一二日到達の書面により被告らに対し損害賠償債務の支払を催告し、同年四月六日から被告らとの交渉に入つたが、その間被告らは、原告において被告らが誠意ある賠償を行うことも十分ありうるとの期待をもたせる態度をとりつつ、同年一一月二六日の最終交渉においてなんらの有額回答もないまま交渉を不成立とした。右の経過からすれば、被告らは訴訟における時効主張の可能性を検討しつつ、それが可能となる右催告から六か月が経過するまでの間、意図的に交渉を引き延ばしたものというべきであり、被告らの時効援用は著しく正義に反するものである。
六再抗弁に対する認否
(一) (一)につき、原告がその主張の日に被告らに対し催告を行つたことは認めるが、その主張の日を時効の起算時とする旨の主張は争う。
(二) (二)につき、原告がその主張の日に被告らに対し催告を行つたこと、昭和五四年四月六日から原告と被告らとの間で交渉が行われたことは認めるが、その余の事実は争う。
右交渉は原告側の要請に応じて同年一〇月三一日まで四回にわたつて行われ、五回目の交渉として同年一一月二六日の会合が予定されていたが、双方の合意により取り止めとなつた。被告らは示談解決も可能と考えて原告の要請に応じて交渉に応じてきたのであり、交渉の席上原告に誤つた期待を抱かせるような発言をしたことはないし、もとより不当に交渉の引き延しを図つたことはない。
第三 証 拠<省略>
理由
一 当事者
1 請求原告1(一)の事実(被告らの営業関係)は当事者間に争いがない。
2 同(二)の事実(原告の経歴、被告帝硫との雇傭関係)は、原告本人尋問(第一回)の結果及びこれにより成立の認められる甲二第七号証により明らかである(同(2)の事実は、原告と被告帝硫の間においては争いがない。)。
二 スクレーパー作業の実態
<証拠>によれば、以下の事実が認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。
1被告帝硫は、吾妻鉱業所において、硫黄の採掘・製錬を行つていたが、その作業工程は、坑内で採掘された硫黄鉱石を坑外に搬出し、選鉱場における選鉱を経て、直径二五ミリメートル以上の塊鉱は焼取製錬により、それ以下の粉鉱は蒸気製錬により、それぞれ製錬が行われた。焼取製錬によつて硫黄を抽出された鉱滓は、最終的には坑内充填材として坑内に搬入されるところ、その過程で鉱滓を製錬場から搬出する作業は、当初は製錬夫が一輪車で約一〇〇メートルの距離を運搬していたが、この作業を合理化し、多くの鉱滓を処理できるようにするため、昭和二八年にスクレーパーが設置された。
スクレーパーによる鉱滓処理方法は、製錬場の建物に平行して地面に約一〇〇メートル位の長さの深い溝を掘り、焼取製錬の結果生ずる鉱滓を製錬夫が一輪車で運搬してこの溝の中に捨て、これを溝の底部でバケット(鉄製の籠)によりかき出して移動することによつて鉱滓を排出するものである。溝の一方の端には運転小屋が設けられ、他方の端には滑車が固定されており、バケットの前部につながれたワイヤーロープは滑車で回転されて溝の上部に設けられた支柱で支えられて運転小屋内のスクレーパーホイスト(動力捲取機)につながれ、バケットの後部につながれたワイヤーロープは溝の底部をはつてやはりスクレーパーホイストにつながれていて、このスクレーパーホイストで右ロープの捲取り操作をすることによつてバケットを前後に移動させて溝の中の鉱滓を排出、処理するものである。
スクレーパーは当初焼取製錬所に沿つた一系統だけであつた(以下「上段スクレーパー」という。)が、その後、スクレーパーの終点から、鉱滓をさらに下方に運搬するため、もう一系統のスクレーパーが作られた(以下「下段スクレーパー」という。)。
スクレーパー作業は、スクレーパーホイストの運転のほか、ワイヤーロープが溝に捨てられた高熱の鉱滓に直接触れて焼き切れることを防ぐため、これを溝の底から上方のロープにフックで固定する作業や、ワイヤーロープが切れたときにこれを補修すること、スクレーパーホイストの保守・修理などを含むものであつた。そして、鉱滓は約三時間毎に溝に捨てられ、これを処理するため、スクレーパーホイストの運転の継続は約二時間で、その余の約一時間で右のような作業をした。
2スクレーパーの溝には、鉱滓を捨てるときやバケットを移動するときに、鉱滓に含まれている粉じんが舞い上がり、溝の中には多量の粉じんがたちこめていた。そして、運転小屋は、スレート葺、板壁の構造で、運転時にバケットを注視するためのガラス窓が溝の方向に設けられ、縦一五センチメートル位、横三〇センチメートル位の二つのロープ出入口から前認定のとおりバケットにつながれたワイヤーロープが出入りし、これが小屋内のスクレーパーホイストに巻き取られて運転するようになつていた。右の運転小屋は、スクレーパー設置時に特別の予算措置を講じないで有合せの材料で応急的に作られた簡易なものであつたところから、外部との密閉・遮断は極めて不十分なものであり、溝において発生した多量の粉じんは、小屋のすき間や、ロープ出入口などから運転小屋内に侵入し(風が小屋に向つて吹くときは特に多量であつた。)、さらに、ワイヤーロープに付着した粉じんが、スクレーパーホイストのドラムに巻き取られる際のロープのはずみによりはじけて、運転小屋内に飛散するなどして、運転小屋内には粉じんがたちこめていた。そのため、原告は、運転小屋のすき間の目張りや、ロープ出入口に覆いをするなどの対策を講じたが、これによつても粉じんの侵入を有効に防ぐことはできなかつた。また、下段スクレーパーの運転小屋は、そのすぐ前に上段スクレーパーによつて運ばれてきた鉱滓が落下するようになつていたため、粉じんの侵入は特に激しく、そのため、昭和三三年ころ、小屋内を一階の機械室と中二階の運転室の二つに隔て、運転室への粉じんの侵入が多少軽減されるようになつたが、それでもなお、運転室内には粉じんがたちこめている状態であつた。
また、ワイヤーロープを上方のフックに引掛ける作業は溝の上方において、ワイヤーロープが切れたときの補修作業は溝の中において、それぞれ行われる作業であるため、その際には、溝において発生した粉じんに直接さらされる状態であつた。
3上段スクレーパー設置当初は原告のほか一名の補助者が昼間の作業(勤務時間は、午前八時から午後四時まで)に従事したが、下段スクレーパーが設置されてからはさらに二名の作業員が増員されて、合計四名の二交替制(夜間の勤務時間は夜一〇時から翌朝五時まで)で作業に従事した。
そして、上段スクレーパー設置後一年間位は、スクレーパーホイストは坑内で使用されていた中古のものであつたため、その故障が多く、またワイヤーロープも麻の芯のものが使われていて(のちに鋼鉄の芯のものが使われた)鉱滓の高熱により切れやすかつたため、原告においてはこれらの補修のために残業があつたし、またその後も昭和三一、二年ころから焼取製錬が四操業となると、処理しなければならない鉱滓の量が増加したために、これによつても残業することがあつた。
さらに、交替要員が見付からないために、休日とされていた日曜日にも出勤することが多かつたし、昼番・夜番の通し番勤務に就くこともあつた。
(なお、右の残業、休日出勤及び通し番勤務の具体的割合、時間数等に関しては、これに触れる前掲甲二第八号証の記載及び原告本人尋問((第一回))の結果は、この点についての前掲証人永谷定の証言に対比してたやすく採用できず、他に右認定事実以上に具体的詳細な事実関係を確認するに足りる証拠はない。)
原告の給与は固定給方式であつて、この方式と出来高方式を併用する採鉱、製錬夫には劣るけれども、吾妻鉱業所勤務の鉱員(一般事務職より給与が高い。)の平均的水準であつて、もとより右の残業等をしなければ生計に支障を生ずるなどといつた低賃金ではなかつた。
三 原告のじん肺罹患
1じん肺について
(一) <証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(1) じん肺とは、粉じんの吸入によつて肺に生じた線維増殖性変化を主体とし、これに気道の慢性炎症性変化、気腫性変化を伴つた疾病である。
すなわち、吸入された粉じんは、一部は気管支に付着し、気管支粘膜の上皮細胞のはたらきで痰にまじつて再喀出されるが、肺胞内に達したものは、肺胞壁から出てくる喰細胞によりその体内にとりこまれ、リンパ管を経てリンパ腺に蓄積される。けい酸では、蓄積された粉じんは、リンパ腺の細胞を増殖させ、その結果細胞がこわれて膠原線維が増加し、リンパ腺が線維におきかえられることにより、リンパ球の生産をはじめとするその本来の機能が失われる。このようにリンパ腺が閉塞された後さらに吸入された粉じんは、肺胞腔内に蓄積され、肺胞壁を破壊し、そこから出てくる線維芽細胞により肺胞腔内を線維化し、〇・五ないし五ミリメートル以上の大きさの固い結節(じん肺結節)となり、肺胞壁を閉塞する。吸じん量がさらに増加すると、じん肺結節は大きさ、数を増して隔合し、塊状巣を形成してその領域の肺胞壁を閉塞するばかりでなく、気管支や血管を狭窄、閉塞して気管支変化を生じさせ、気道抵抗の増大による負担のため肺胞壁が破れて肺胞腔が拡大して肺気腫を生じさせ、肺のガス交換を行う機能を失わせる。また、血管変化により循環障害が継続的に起こり、心負担が増大して心肥大を生じ、心臓を衰弱させる肺性心にいたる。右病変の過程において、合併症を伴うことも多く、現行じん肺法施行規則では、肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症、続発性気胸が合併症と規定され、その他にも肺炎、各種の癌、潰瘍等の発症が指摘されている。
じん肺に罹患するか否か及びその症状の進行の度合等は、体質(気管支の除じん能力)及び吸じん量に左右される。そして、右の線維化、肺気腫、血管変化は治療によつても元の状態に戻ることはなく(不可逆性)、気管支変化のみが早期の治療に反応する。また、右の病変は、粉じんの吸入のやんだ後も、すでに吸入された粉じんの量及び質に対応して、進行を続ける(慢性進行性)。さらに、前記の循環障害による肺性心や合併症のほか、酸素の摂取量が不足することにより消化器をはじめとする各臓器への悪影響が及ぶ(全身疾患性)。
そして、じん肺罹患者は、病状が進行を続けた場合には肺性心により、或いは進行の途上で右の合併症を併発することにより、死亡にいたる例が少なくない。
(2) じん肺の自覚症状としては、主に呼吸困難、心悸亢進、喀痰、咳嗽等があげられ、まず前二者が初めに現れる(但し、じん肺には屡々気管支炎が合併するが、その場合には後二者が最初に認められる。)。
じん肺の診断のためには、胸部エックス線写真撮影及び肺活量検査等の心肺機能検査がなされるが、罹患している場合には、エックス線写真上、前記の各線維化の状態が、粒状影、線状影、大陰影(粒状影の融合・進展したもので、約一〇ミリメートルを超えるもの)等として認められる。
(3) じん肺法においては、粉じん作業に従事又は従事した労働者につき、そのエックス線写真及び心肺機能検査の結果に基づいて、じん肺の所見の有無及びその進度に関し、順次管理一ないし管理四の四区分のじん肺管理区分(昭和五二年法律七六号による改正前の四条は健康管理の区分)を設け、この区分に応じて適切な健康管理をなすべきことを規定している。
現行じん肺法上のじん肺管理区分及び昭和五二年改正前の健康管理の区分において、最も重い区分である管理四と決定された者については、同法上療養を要するものとされている。そして、右療養は、必ずしも休業を伴うものだけではなく、就業しながらの治療も含まれ、その選択については医師の判断に基づいて行われるべきものであるが、医学上、休業のうえ療養に専念するのが相当と判断される場合が多い。
2原告のじん肺(けい肺)罹患
<証拠>によれば、以下の事実が認められ、<証拠>は右認定の妨げとなるものではなく、他にこれを左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告(大正一五年八月八日生)は、昭和一六年に尋常高等小学校を卒業した後、機械工、とび職等を経て、昭和二六年一二月九日、被告帝硫に入社し、吾妻鉱業所において製錬夫として働くようになつた。ところが、翌二七年一月、製錬釜の爆発事故により負傷し、数か月間療養したが、視力・聴力の低下の後遺症が残り、体力も低下したことから、製錬夫の仕事に耐えられなくなつたため、しばらく雑役夫として働いた後、昭和二八年暮れころ、鉱滓処理のため新たにスクレーパーが設置されたのを機に、スクレーパー作業に従事するようになつた。
(二) (管理二の決定)
原告は、被告帝硫の実施していたじん肺健康診断の結果に基づき、昭和四二年一月三〇日、群馬労働基準局長からエックス線写真の像が第二型で心肺機能に軽度の障害があるとして、じん肺の健康管理の区分管理二の決定を受け、そのころから原告は身体のだるさ、疲れやすさを感じるようになつた。
右疾病は、けい酸の含有率の髙い前記粉じん吸入によるいわゆるけい肺症である。
原告は、右管理区分の決定通知を受けたため、その内容を理解すべく、労働科学研究所においてじん肺の専門医である佐野辰雄医師の診断を受けたところ、同医師から粉じんのない軽作業の職場に転職するよう助言を受けたので、被告帝硫に対しその旨の配置転換を申し入れたが拒否されたため、やむなくその後もスクレーパー作業を続けていた。
しかし、昭和四三年暮ころになると、さらに疲れ易くなり、作業中息苦しさのため、一休みして呼吸を整えないと、次の作業にとりかかれないような症状があらわれるようになつた。
そこで、原告はそのころそれ以上悪化させないために同被告に退職を申し出たが慰留されたため、引き続いて右作業に従事していたところ、作業中の息切れや動悸がさらに悪化したため、退職を決意し、昭和四四年三月一五日、同被告を退職するにいたつた。
(三) (管理四の決定)
原告は、退職後就職先を探し、自動車運転免許を取得するなどしていたところ、右退職時の健康診断の結果に基づき、同年一〇月二〇日、群馬労働基準局長により、エックス線写真の像が第二型で、じん肺による高度の心肺機能の障害が認められるとして、健康管理の区分管理四、療養の必要がある、との決定を受け、右決定は被告帝硫から原告に対し、同年一二月二一日ころ通知された。
(四) (その後の経過)
原告は、昭和四五年一月から四月まで専門病院である珪肺労災病院に入院し、その後は通院治療を行うようになつた。右退院時においても症状は軽快せず、さらに痰、咳の自覚症状が加わつた。その後、昭和四七、八年ころには、東京において友人のもとに二年間位勤務し自動車運転等を行つていたこともあつたが、右諸症状のためにとうてい十分な仕事を行うことができない状態であつた。
昭和四七、八年ころからは、朝起き上る時や立つて歩き出そうとするとき頭から血が引くような立ち暗みの症状があらわれるようになり、昭和五一、二年ころからは動悸や息切れが一層悪化し、胸の重苦しさ、長時間の歩行困難などが加わつてきている。
(五) (エックス線写真像)
昭和四五年二月撮影当時においては、すでに両肺に現行じん肺法上の三型に該当する密度の高い粒状影が存在しており、昭和五〇年二月撮影当時には右粒状影がさらに密度が髙くなり、同法上のほぼ四型に近くなつた。そして、昭和五三年二月撮影当時にいたると、右肺では直経約三センチメートルを、左肺では同約五センチメートルをそれぞれ超える大陰影がみられ、その内部に塊状巣が完成されつつあることが窺われるようになり、同法上の四型に該当するものになつた。さらに、昭和五五年二月撮影当時になると、肺の血管障害により心臓の負担が増加したために生ずる心臓の拡大があらわれている(但し、肺気腫の疑いはなく、気管支炎も明確ではない。)。
(六) (現在及び今後の症状)
前記の各自覚症状はいずれも顕著であつて、月一回通院してエックス線撮影や痰の検査を受けており、会話や行動に制限をうけ、稼働は不可能である。
そして、昭和四五年二月から昭和五五年二月までの前記エックス線写真像の進展度合からみれば、今後より早く、大陰影が発展し肺の血管障害、従つて心臓に対する負担の進行があり、また肺気腫の発生などが予想される。
四 被告東レの責任
1原告は、被告東レが、被告帝硫を、製品の買入れ、株式保有、役員・管理職員の派遣、労務管理等を通じてその経営を実質的に支配していたものであるから、被告帝硫に雇傭されていた原告に対して、安全配慮義務又は不法行為法上の注意義務を負う旨主張するので、検討する。
(一) <証拠>によれば、以下の事実が認められ、前掲証人田口伊久雄の証言及び原告本人尋問(第一回)の結果中後記認定に反する部分は、前掲証拠に照らしてにわかに措信し難く、他に後記認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 被告帝硫は、昭和二年に設立された株式会社であるが、当初は本社を滋賀県におき、滋賀県及び福井県の工場において二硫化炭素の製造等を行つていた。被告東レは、レーヨン製造のための原料である二硫化炭素の安定した供給をえるため、昭和一四年二月、当時硫黄製錬業界では中堅企業であつた被告帝硫の株式の過半数を取得し、いわゆる系列会社とした。被告帝硫は、同年一一月、吾妻鉱山の鉱業権を取得し、翌一五年二月以降同鉱山において硫黄の採掘、製錬を行うようになり、昭和一九年には滋賀県内の工場を閉鎖するとともに本社を東京に移転し、さらに昭和二三年には福井県内の工場を閉鎖し、その後は吾妻鉱業所においてのみ製造を行つていた。その後昭和四〇年代にいたり、石油からの回収硫黄が安価に出回るようになつたため、硫黄鉱山の経営は採算がとれず、多くの企業が経営困難となり、被告帝硫もその事業の縮少、転換を余儀なくされ、昭和四六年五月には吾妻鉱業所を閉鎖し、その後は宿泊施設の経営等を行つている。
(2) 被告東レは、被告帝硫の株式の過半数を取得した昭和一四年以降は、その全株式の五七パーセント前後の株式を保有しているが、その他の株式は一般の株主が保有しており、昭和二六年から昭和三八年までの間、東京証券取引所第二部に上場されて、流通していた。
(3) 被告帝硫は、被告東レの系列会社となつた当初は製造した硫黄の八割程度を同被告又はその系列会社に供給し、残りを他の会社に販売していたが、昭和三〇年代からは同被告のレーヨン製造量の減少に伴つてその割合は徐々に減少し、昭和四〇年ころからは同被告にその二割程度を供給していたにすぎなかつた。他方、被告東レにおいても、その要する硫黄をすべて被告帝硫から買入れていたわけでなく、松尾鉱山等の他の会社からも買い入れていた。
そして、硫黄の価格は、最大手の松尾鉱山において製造された硫黄の価格が大きな影響力をもち、これに準じた市場価格が形成されていたため、被告帝硫から被告東レに売り渡される硫黄についても、ほぼ市場価格をもとにして決定されていた。そして、被告らの売買価格については、双方の契約関係が長期的のものであつたので、市場価格の変動がそのまま反映されるわけでなかつたので、これより高いときも低いときもあつたが、被告東レは支払期日等の支払条件がよく、包装も簡単でよかつたため、おおむね他社よりも高めといえた。
また、被告東レの硫黄の需要が被告帝硫の硫黄の生産量に大きな影響を与えていたが、被告東レにおいて具体的なその生産計画、設備投資等を決定し、指示するようなことはなかつた。
(4) 被告帝硫の取締役は、五名位であつたが、被告東レの取締役が兼任していたのは、昭和三二年以降においては、昭和三五年一月まで被告東レの代表取締役が非常勤取締役に就いていたほか、昭和三四年から昭和四三年まで被告東レの取締役が代表取締役に就いていた。そして、その他にも、被告東レの従業員が退職のうえ被告帝硫の取締役となるなど、被告東レの関係者が被告帝硫の取締役となつた例が数人あつた。
また、従業員については、昭和一五年に被告東レから被告帝硫に転じた者が吾妻鉱業所長となつたものを含め四名おり、その後も数名の例があつた。
(5) 被告東レは、自己が発行済み株式数の五〇パーセントを超える株式を保有している系列会社との相互依存の関係を緊密化するため、その経営の指導、援助等をなしてきた(昭和三〇年にはその担当部門を一本化するものとして事業部と呼称する部署を設けた。)。
ところで、右持株比率、系列会社の営業種目等如何により同被告の右のような関与の程度に差があつたところ、被告帝硫に関しては、持株数が少なかつたこと、被告東レは繊維を主体とするのに対し被告帝硫においては硫黄の採掘・製錬をなすといつた業態を全く異にするものであつたこと、被告帝硫は会社の歴史が古く、また十分な経営体制等を有していたこと等のため、被告東レの被告帝硫に対するこの点の関与は、その業務について毎日報告を求めていたほか、被告帝硫の要請に対し労務関係に関して、時折、賃金、福利厚生等の一般的情勢等の情報を提供したにすぎず、従業員の採用、解雇及び人事異動とか労働条件等の雇傭関係・労務関係等の具体的事項についてはなんら具体的な指示を与えたことはなく、被告帝硫において独自の判断で決定していた(なお、被告東レの講師が昭和三〇年ころ数回被告帝硫の従業員を教育したことがあるが、これは一般的な管理職教育((いわゆる「MPT」・管理者訓練計画、「TWI」・監督者訓練によるもの))にすぎないものである。)。
(6) 被告東レは、被告帝硫に対し少くとも昭和四三年以降資金援助をなしており、被告帝硫が前認定の吾妻鉱業所を閉鎖した際には、従業員の退職に伴う退職金をはじめとする多額の資金が必要であつたため、これらにあてるための金員を貸し付け(被告東レの有価証券報告書上、昭和四六年九月決算時には二億三〇〇〇万円の貸付けを行い、その期末残高は三億四八〇〇万円となつている。)、また、従業員の再就職先をあつせんするなどした。
そして、右閉山後被告帝硫の前記宿泊施設等の経営についても資金の貸付けを行つて援助している(前記有価証券報告書上、昭和五五年三月決算時の期末残高は八億五〇〇〇万円となつている。)。
(二) しかして、被告東レについて原告主張の前記各義務が肯定されるには、少なくとも、原告・被告帝硫間の労働契約関係に対し、雇主と同視しうるような支配・影響力を事実上も行使しうる関係にあることを要すると解すべきである。
しかるところ、右認定の事実によれば、被告東レは被告帝硫に対しその資本面、取引面その他の関係から、被告帝硫の一般的な経営方針等に事実上の影響を及ぼす立場にあつたといえるにしても、双方の関係は、未だ、経営上相互依存の関係によつて結ばれた独立企業相互の関係の域を出ず、被告東レが被告帝硫を自己の一事業部門の如く管理、支配していたといえないことはもとより、被告東レは被告帝硫の雇傭関係、労務管理等に関しなんらの具体的な指示を与えたことがなかつたのであるから、被告東レにおいて右各義務を負うものと解することはとうていできず、他にこれを肯認すべき事由を認めるに足りる証拠はない。
なお、原告の前記主張は、被告東レは被告帝硫が原告に対して負うべき債務につき法人格否認の法理により責任を負う旨の主張と解しえないではないが、被告東レが右責任を負うには、同被告が被告帝硫の法人格を濫用するとか、又はこれが単なる形骸にすぎないことを要するところ、前記認定の事実に照らして、右事由はいずれも認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
2原告は、被告東レが自己の全面的責任において吾妻鉱業所を閉鎖した以上、同被告は右業務遂行中に生じた災害により被告帝硫が原告に負担すべき損害賠償債務を引受け又は保証したものとみるべきである旨主張する。
しかしながら、前認定のとおり被告東レにおいて被告帝硫の従業員に対する雇傭関係・労務関係につきこれを支配する立場にあつたとはいえないことはもとより、吾妻鉱業所の閉鎖及びその後も前認定のとおり多額の融資を与えているものの、本件全証拠によつても被告帝硫に勤務中に生じた災害に対する損害賠償債務等につき原告に対しその支払等を約した事実を認めることができないから、右主張は採用するに由ないところである。
3してみると、原告の被告東レに対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないものというべきである。
五 被告帝硫の責任
1予見可能性
(一) <証拠>によれば以下の事実が認められ、これを妨げるに足りる証拠はない。
(1) じん肺、ことに本件のようにけい酸含有粉じんの吸入により生ずるけい肺は、古くから鉱山等の粉じん作業に伴う重要な職業病として知られ、発じん予防・防じん対策、健康管理等の必要性が認識されていたが、戦後、国及び産業・労働の諸団体においてその具体的方策やそのための立法化が検討され、国によつて、昭和二三年には金属鉱山労働者に対するけい肺検診が実施され、昭和二四年には、労働省通牒として、けい肺罹患者に対し、その程度に応じて、保護具の使用、健康管理、労働時間の短縮、配置転換、療養等の措置をとるべきこととする「けい肺措置要綱」が定められ(なお、同要綱は、昭和二六年、措置をより厳格にするための改正が行われた。)、さらに昭和二五年には、防じんマスクの規格化・国家検定が行われるなどの施策が本格的に行われるようになり、右の従来からの論議、研究を踏まえたうえでの立法化として、昭和三〇年九月にはけい肺等特別保護法が制定され、けい肺健診、罹患者の作業転換、転換給付・療養給付等の支給などが定められ、さらに昭和三五年には、じん肺法が制定されるにいたり、同法において、対象が広く鉱物性粉じんによるじん肺に広げられるとともに、じん肺の予防措置として、事業者及び粉じん作業に従事する労働者は、粉じんの発散の防止及び抑制、保護具の使用等について適切な措置を講じなければならないこと、事業者は常時粉じん作業に従事する労働者に対してじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行わなければならないことが規定されるにいたつた。
(2) 被告帝硫は、昭和二五、六年から吾妻鉱業所の従業員に対し、粉じんによるけい肺罹患の予防のため、その発症原因、病状等の解説とマスク着用の必要性を内容とするパンフレットを作成して配付するとか、掲示等を通じ、また適時の機会に業務上防じんマスク着用の励行を指示していた。
また、遅くとも、前記けい肺措置要綱の定められた昭和二四年ころから、けい肺予防・粉じん防止についての知識を得させるため、積極的に吾妻鉱業所の従業員をこれに関する外部講習会に出席させたりしていた。
(二) 以上によれば、被告帝硫としては、原告をスクレーパー作業に従事させた昭和二八年ころには、すでにその作業中に発生する多量の粉じんにより、原告をじん肺(けい肺)に罹患させることを予見しえたことは明らかであり、したがつて、これを防止するため、可能な限りの防じん対策を講じ、吸じんの防止のため適切な防じんマスクを支給し、さらにじん肺に罹患した場合にその進行を防ぐため、法定の健康診断をはじめとする適切な健康管理を行い、じん肺有所見のときには粉じん吸入を減少させるような措置(作業転換、労働時間の短縮等)を講じるなどの雇傭契約上の安全配慮義務及び不法行為法上の注意義務を負つていたものというべきである。
2被告帝硫の義務違反
(一) 前認定事実(二)及び<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(1) 吾妻鉱業所においては、硫黄の製錬方法として、焼取製錬と蒸気製錬の二つの方法によつていた。焼取製錬は、硫黄鉱石を丸釜で加熱し、硫黄を気化凝結するもので、原始的な方法ではあるが、わが国における硫黄製錬方法としては広く行われていた。焼取製錬においては、鉱石を丸釜で処理する際や、製錬後の鉱滓の処理(スクレーパー作業を含む。)の過程において、多量の亜硫酸ガスと粉じんを発生させるものであつた。これに対して、蒸気製錬は、細かく粉砕された鉱石を浮遊選鉱により品位を高め、これをオートクレーブに入れて蒸気を吹き込み、硫黄を溶出させるものであり、これによつて生ずる鉱滓は水を含んだ泥状のもの(スライムと呼ばれる。)で、その処理過程において、粉じんの発生することは少ない。
被告帝硫は、戦後においては昭和二七年に蒸気製錬の設備を完成し、以降も増設してわが国の硫黄鉱山では最大規模の蒸気製錬設備を有し、昭和三〇年代末ころにはこれにより生産量の三分の一以上を製錬していたが、その目的は、主として焼取製錬によつて処理することの困難な粉鉱(直径二五ミリメートル以下の鉱石)を処理しうるようにすることにあつた。そして、蒸気製錬には、他にも人件費や燃料代の節約ができるという利点があつたが、反面、膨大な設備投資を要すること、高品位の硫黄鉱石を用いなければ燃費がかさんで採算がとれないこと、製錬の過程において大量の水を必要とするのに、吾妻鉱業所においてはこれを確保することが困難であつたこと、スライムの処理において、これが流出すると動植物に害を及ぼすため(吾妻鉱山の周囲は牧場であつて牛馬等の飲料水に混入する危険があつた。)、流出防止のため巨大な堰堤を作る必要が生ずることなどの難点があり、昭和三〇年代には天然硫黄の需要が減少傾向となつたこともあつて、被告帝硫が蒸気製錬に設備を全面的に切替えることはとうてい不可能な状況にあつた。
(2) 吾妻鉱業所においては、けい肺等特別保護法の施行にともない、被告帝硫と吾妻鉱山労働組合との間に、発じんの防止・抑制処置及びけい肺罹患者に対する作業転換、労働時間の短縮、補償等につき、昭和三一年に「けい肺協定」が、昭和三六年には「じん肺協定」(けい肺協定をより充実させている。)が締結された。そして右「けい肺協定」に基づくじん肺予防のための諸対策の一環として昭和三二年二月から労使双方各七名の委員からなる防じん対策委員会が設置されて、その対策を審議し、これを鉱業所長に具申することにより、坑内作業における防じんなどについてはある程度の成果をあげていた(排気用竪坑の設置、発破後の散水等)が、坑外作業については特段の改善はなかつた。
(3) 原告が従事していたスクレーパー作業の作業環境は、前記二において認定したとおり、鉱滓から発生する粉じんがたちこめている状態であつたため、原告は、被告帝硫に対して粉じんの防止を申し入れるとともに、自らも運転小屋のすき間の目張りやロープ出入口の覆いをし、ブラシによりワイヤーロープの粉じんを払うようにするなどの対策を講じ、さらには下段スクレーパーの運転小屋の機械室と運転室を分離することなどの工夫をしたが、有効に粉じんを防止することはできなかつた。
これに対して、被告帝硫は、スクレーパー作業は坑内や焼取製錬場内と異なり、開放された屋外での作業であることから、その粉じん対策をさほど重視していなかつたため、その対策として、昭和三二、三年ころ、スクレーパーの溝に散水設備を設け、散水により粉じん発生を防止しようと試みたり、原告が運転小屋の強制給排気装置の設置を提案したのに応じて、排気口をもうけて扇風機により排気を行うよう設備したりするなどした。しかし、右散水設備は、散水のためにかえつて粉じんが発生したこと及び鉱滓が水分を含んで固まつてしまうためスクレーパー作業に支障をきたすこと等の理由により、直ちに使用を廃してしまつた。また、右強制排気についても、原告において一〇〇メートル位先から送風管によつて空気を送り込む装置(給気口)を提案したのに、被告帝硫は費用がかかるとの理由でこれを拒否し、なんらの給気装置を設けなかつたため、右扇風機による排気のみではあまり効果がなかつた。そして、同被告は右のほか有効な対策を採らなかつた。
(4) 被告帝硫は、原告がスクレーパー作業に従事した昭和二八年以降も防じんマスクの支給を行わず、原告らは自らガーゼマスクを買い求めてこれを使用するなどしていたが、昭和三〇、三一年ころからは防じんマスクを支給するようになつた。しかし、日本工業規格に適合するものは製錬夫の場合高熱等により作業上支障があるという理由で、規格外の湿式のスポンジマスクが支給され、これに亜硫酸ガスを中和するため、重曹液をしみ込ませて使用させていた。原告は、作業時に支給された防じんマスクを装着していたが、一〇分くらいでスポンジが乾いてきてろじん効果が低下してくるという状況であつた。
(5) 被告帝硫は、昭和二五年に吾妻鉱業所に診療所を開設して医師を常駐させ、従業員に対して年一回(採鉱及び製錬の作業員については年二回)の定期健康診断を行つていたが、昭和三〇年以降はけい肺法、じん肺法等によるじん肺健康診断及び前記「けい肺協定」(第六条)・「じん肺協定」(第一一条)に基づく健康診断を実施していた。
原告は、これらの健康診断を受診していたが、昭和四〇年ころ、じん肺の疑いが認められたため、群馬大学附属病院で検査を受け、その後前認定(三、2の(二))のとおり昭和四二年一月三〇日管理二に決定された。そのため、被告帝硫に作業転換を申し入れたが、同被告は転換部門がないとの理由でその申出を拒否して引き続いて原告をスクレーパー作業に従事させていた。
(6) 被告帝硫は、前認定(1、(一)の(2))のとおり、遅くとも昭和二四年ころから従業員をじん肺に関する外部講習会に出席させてじん肺予防・粉じん防止についての知識を吸収させることに努め(なお、原告自身も昭和三二年にこれに出席した。)、昭和二五、六年ころからパンフレット、掲示等を通じて粉じん防止等につき一般的知識の普及をはかつていたほか、適時業務上の指示により防じんマスク着用励行などの指導を行つていた。
(二) 以上の事実に基づいて、被告帝硫において、原告のじん肺罹患について、安全配慮義務又は不法行為上の注意義務の違反があつたか否かを検討する。
(1) 粉じん発生防止・抑制義務の懈怠について
(イ) 被告帝硫は、運転小屋内に侵入する多量の粉じんを防止するために、簡易な構造の建物であった運転小屋を改築するなどしてその遮断性を高め、ロープ出入口により適切な覆いをすることやワイヤーロープの粉じんを除去するための十分な設備をなし、また、侵入した粉じん量を軽減するための給排気装置を設置すべきであつたにもかかわらず、これを怠つたものといわざるをえない。
(ロ) 原告は、粉じんの多量に発生する焼取製錬によることをやめ、蒸気製錬に転換すべきであつた旨主張する。しかしながら、焼取製錬は、作業環境上の問題はあつたが、わが国において主流をなす製錬方法だつたのであり、他方蒸気製錬は、近代的な方法ではあるが、これを積極的に導入していた被告帝硫においても、全面的に採用することを困難ならしめる、技術上、経済上の諸事情が存在したのであるから、他に特段の立証のない本件においては、全面的に蒸気製錬を採用しなかつたことをもつて安全配慮義務又は不法行為上の注意義務に違反するとまでは断定し難い。
(2) 体内侵襲防護義務の懈怠について
(イ) 防じんマスクの支給に関しても、スクレーパー作業全体を通じて粉じんにさらされたのであり、しかも当時はすでに防じんマスクの国家検定も行われ、これに合格した十分な除じん能力を有する防じんマスク及びろ材を支給すべきであつた(かかるマスクが市販されていたことは、<証拠>によつて明らかである。)のに、これを怠り、昭和三〇年ころまではなんらマスクを支給せず、その後も日本工業規格合格品でない不適切なマスクを支給したにすぎなかつたものというべきである。
なお、被告帝硫は、同被告が支給したマスクは検討の結果最適のものとして選ばれたものである旨主張し、日本工業規格に適合するものは、製錬の際の高熱等により作業上の支障があるとの理由で右規格外のものが選定されたことは前認定((一)の(4))のとおりであるが、前掲証人田口伊久雄の証言によれば、スクレーパー作業において右適合品を使用することについては右のような支障のないことが明らかであるから、右事情をもつて被告帝硫が原告に対して適切なマスク支給をなしたものとはいえないところである。
(ロ) 原告は、被告帝硫が原告の労働時間を短縮するなどの労働条件を改善することなく低賃金のため長時間の残業を余儀なくさせた旨主張するが、本件全証拠によつても、原告の残業等の割合、時間数等を確定することは困難であり(前認定二の3)、また、右残業が被告帝硫により違法・不当に義務づけられたものであるともとうてい認められず、その賃金についても、前認定(二の3)のとおり、残業をしなければ生計に支障の生ずるほどの低賃金ではなかつたのであるから、この点に関する原告の主張はその前提を欠き採用することができない。
(3) 健康管理義務の懈怠について
(イ) 原告は、昭和四二年一月に管理二と決定され、作業転換の申し出をしたのであるから、粉じんの少ない作業に変更するか、スクレーパー作業に従事する作業時間を短縮することなどにより、その病状の進行を防止すべきであつた(なお、同被告と労働組合間に締結された「じん肺協定」においてもこの趣旨が合意されていた。)にもかかわらず、これを怠り、原告の症状を悪化させたものといわざるをえない。
(ロ) 原告は、被告帝硫がじん肺特別健康診断を厳格に実施しなかった旨主張するが、被告帝硫において定期健康診断及び法定のじん肺健康診断が実施されていたことは前認定((一)の(5))のとおりであり、これが不十分なものであつたとは認め難いから、原告の右主張は採用することができない。
(4) 安全衛生教育義務の懈怠について
原告は、被告帝硫の安全衛生教育が不十分であつた旨主張するが、同被告においては相応のじん肺教育を行つていたのであるから、直ちに義務違反があるとはいえないし、また、原告は自ら粉じん防止を再三被告帝硫に対して申し入れるなど粉じんの危険性を十分認識していたのであるから、仮に、右義務違反があつたとしても、これが原告のじん肺罹患と因果関係を有しないことは明らかであるから、この点に関する原告の主張は採用することができない。
(5) 以上のとおり、被告帝硫は粉じん発生の防止・抑制((1)の(イ))、体内侵襲防護((2)の(イ))、健康管理((3)の(イ))に関する、雇傭契約上の安全配慮義務又は不法行為法上の義務を懈怠し、その結果原告をじん肺に罹患させたものといわざるをえない。
六 時効の抗弁について
被告帝硫は、原告が不法行為又は雇傭契約上の安全配慮義務違反に基づく各損害賠償請求権を有するとしても、右各請求権はいずれも時効により消滅した旨主張するので、その損害額の判断に先立つて、右時効の成否について検討するに、右各損害賠償請求権は、以下のとおり、消滅時効により消滅した。
1原告が不法行為及び安全配慮義務違反に基づく本訴損害賠償請求を当裁判所に提起した日が昭和五五年五月八日であることは、本件記録上明らかである。
2不法行為による損害賠償請求について
(一) 損害の認識
右消滅時効の要件である「損害を知りたる時」とは、損害賠償請求権の行使が事実上可能な状況のもとに、その可能な程度に具体的資料に基づいてこれを知つた時を意味するものであり、また、その損害の一部を知つたときには、その損害と牽連一体をなす損害であつて、その当時において将来その発生を予見できるものについては、その全部について時効の進行が開始するものと解するのが相当である。
ところで、じん肺は進行性疾患であり、それによる損害が拡大することが予想されるものであるが、じん肺法においては、労働者の健康の保持その他福祉の増進を目的とする行政上の措置であるにせよ、じん肺健康診断の結果に基づき症状の程度の区分(健康管理の区分又はじん肺管理区分)とその決定手続を設け、同区分に応じて健康管理の措置を規定している(これが不合理であるとする資料はなんら存在しない。)こと、さらに右区分上最も重い症状とされている管理四については、同法上療養を要するものとされ、医学上休業のうえ療養に専念することが相当で、稼働能力を喪失したとみるべき場合が多いことなどに鑑みると、じん肺の症状が固定することなく、なお進行を続けている場合においても、管理四の症状となつたときには損害賠償請求権の行使が事実上可能な程度にいたつたものと解され、右の症状にあることを知つたときには、これによる損害及び当時の医学水準に照らして高い蓋然性をもつて発生・進行することの予想される症状の変化に基づく損害の全部について損害を認識したものとして、時効の進行を開始するものと解するのが相当である。
しかるところ、前認定(三、2の(二)、(三))のとおり、原告は昭和四四年三月一五日被告帝硫を退職するに際してじん肺健康診断を受けた当時には、健康管理の区分管理四に相当する病状(前記認定の原告の身体状況と証人佐野辰雄の管理四の症状についての証言によれば稼働能力を喪失したものと解するのが相当である。)にいたつていることが明らかである。そして、前認定(三、2の(二)ないし(六))の事実に徴すると、その後現在にいたるまでの原告の病状の進行は、右の当時の医学水準に照らしじん肺の典型的な進行症状としてすでに予見可能なものであつたと認めることができる。そうとすれば、原告においては、遅くとも前認定(三、2の(三))の同年一二月二一日ころ管理四決定の通知を受けたときには、具体的資料に基づき、右当時に発生した損害及び予見可能な損害のすべてにつきその発生を知つたものであり、したがつてこの時から時効の進行が開始するものというべきである。
(二) 加害者及び違法性の認識
(1) 消滅時効の要件たる「加害者を知りたる時」とは、前記損害の認識の場合と同様に、損害賠償請求権の行使が事実上可能な程度に加害者を知ることを要するものであり、また、その要件たる違法性の認識については、当該行為が不法行為として訴求しうることまで認識することを要せず、通常当該行為が法律上不法行為を構成するに足りる具体的事実を認識することをもつて足るものと解すべきである。
(2) しかるところ、前認定(五、2、(一)の(3))のとおり、原告においてスクレーパー作業における粉じん防止について自ら被告帝硫に改善の申入れをなしたが、その一部だけが改善されたにすぎず、十分な改善措置が講ぜられなかつたこと、原告は昭和三二年、昭和三四年に前記防じん対策委員会の委員になり、粉じん防止対策を同被告に申し入れたりしている(この点は、<証拠>によつて認められる。)こと、原告は前認定(三、2の(二))のとおり、管理二の決定を契機として同被告に作業転換を求めたのに被告からは前認定(三、2の(二))のけい肺協定上の作業転換の合意に反して正当な理由なくこれを拒否されるといつた、協定違反の事実(原告が右協定の内容を熟知していたことは原告本人尋問((第一回))の結果により明らかである。)を体験していること、原告は昭和三四年当時労働組合の執行委員となり、けい肺協定に関して粉じん職場の改善、じん肺罹患者の作業転換等についての同被告と労働組合の交渉に関与し、同年一〇月にはじん肺罹患者に対する補償を中心問題とするストライキの際には組宣部員(組合内部の広報の担当者)の任を兼ねていたこと、原告において、その法律的性格はさて措き、じん肺罹患者に対しては当然同被告がじん肺協定に定めるような金銭的補償をなすべきであると考えていた(この点は原告本人尋問((第一回))の結果によつて認められる。)こと等に徴すると、原告は、前認定((一))のとおり損害を認識した当時において、そのじん肺罹患について、それは同被告が粉じん防止を怠つた故であり、かつ、その損害賠償責任を基礎づける事実をすべて知つており、これにつき同被告が責任を負うべきものと理解していたことが明らかというべきである。
したがつて、消滅時効開始の右各要件とも管理四の決定通知を受けた当時に充足されていたものと解するのが相当である。
なお、原告は、昭和五三年一〇月ころまで昭和四六年五月の吾妻鉱業所の閉鎖により被告帝硫の会社としての組織も消滅したものと誤認していたから、この間は加害者を知つたとの判断をなし得ない旨主張する。しかしながら、右認定のとおり、原告が誤認するにいたつたと主張する吾妻鉱業所閉鎖の前である、管理四の決定通知を受けた昭和四四年一二月二一日ころには原告においてすでに加害者を知つたとみるべきことは右認定のとおりであり、また、その後右のような誤認に陥つている間は時効が進行しないとするいわれもないから、原告の右主張は採用できない。
(三) そうすると、不法行為に基づく損害賠償請求権は、原告が管理四と決定されたことを知つた日から三年を経過した昭和四七年一二月二一日ころには、時効が完成したものというべきである。
3安全配慮義務違反による損害賠償請求について
(一) 原告主張の安全配慮義務は、雇傭契約の付随義務として、被告帝硫が原告に対してその生命・健康等を危険から保護するよう配慮すべき信義則上の義務であり、その不履行により生ずる損害賠償請求権は、債務不履行によるものとして、民法一六七条一項、一六六条一項が適用されるものと解される。
しかるところ、一般の債務不履行による損害賠償請求権においては、「権利を行使することを得る時」とは、本来の債務の履行を請求しうるとき、を意味するものというべきである。しかし、本件の如く生命・身体に関する安全配慮義務違反の場合においては、一般の契約上の債務不履行による損害については本来の債務の発生当初から当事者双方にとつてその内容、態様等が客観的に予想可能なものであることとは異なり、具体的安全配慮義務の内容自体が具体的状況如何によつて相違するばかりでなく、その違反による損害の内容、態様をあらかじめ予想することが困難であるから、右の「権利を行使することを得る時」とは、安全配慮義務の履行期を問題とすることなく、客観的、具体的に損害が発生したとき、と解するのが相当である(ことに、じん肺罹患の如く、義務違反による粉じん吸入が止んだ後((被告帝硫主張の原告の退職時を起算時とする考えも、この場合に該る。))、一〇年以上を経過してから発症することの多いような場合((前掲証人佐野辰雄の証言))には、安全配慮義務の履行を請求し得る時をもつて時効の起算時と解することは被害者に酷な結果を生ずる。)。
そして、右損害が発生した以上、その損害賠償請求権を行使するについて法律上の障害がない限り、その権利の存在及び行使の可能性を事実上知らなくとも、時効が進行するというべきである。
しかして、本件においては、前認定(2の(一))のとおり、原告の退職時に際してのじん肺健康診断時の昭和四四年三月一五日ころ(遅くとも管理四の決定時たる同年一〇月二〇日)には、管理四の病状とその後現在までの病状の進行とに基づく全損害が客観的、具体的に発生していたものといえるから、右時点から時効の進行が開始したものとみるのが相当である(弁論の全趣旨に照らせば、被告帝硫においては時効の起算時としてかかる主張をなしているものと解することができる。)。
(二) なお、原告は、不法行為と同様に「損害及び加害者を知つた時」をもつて、民法一六六条一項所定の「権利を行使しうる時」と解すべきである旨主張する。しかし、安全配慮義務についても、当初から一般的には加害者は明らかであるうえ、前説示のとおり、その不履行により客観的、具体的に損害が発生することをもつて右の要件とみる以上、かかる事実上権利行使の可能性の存在についての知、不知に関する不利益は契約の一方当事者たる被害者が負担するのが公平に適する(なんら関係のない第三者から偶発的に損害を与えられた場合ではないから、容易に右の如き権利行使の可能性を知ることができる筈である。)と考えられるから、右主張は採用の限りでない。
また、被告は、安全配慮義務は商行為に基づく債務であるからその不履行による損害賠償債務についても商事時効の適用がある旨主張するが、安全配慮義務は公法関係、私法関係を問わず、信義則上一般的に認められるものであるから、右主張はとうてい採用できない。
(三) そうすると、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は、原告の退職に際してのじん肺健康診断時である昭和四四年三月一五日ころ(遅くとも管理四の決定時たる同年一〇月二〇日)から一〇年を経過した昭和五四年三月一五日ころ(遅くとも同年一〇月二〇日)には、時効が完成したというべきである。
4以上のとおり、原告主張の不法行為及び安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権については、いずれも時効期間が満了したものであるところ、被告帝硫が右各時効を援用したことは当裁判所に顕著である。
七 時効中断の再抗弁について
原告は、仮定的に安全配慮義務違反による損害賠償請求権についての時効の起算時が管理四の決定通知を受けた昭和四四年一二月二一日ころであることを前提として、昭和五四年一一月三〇日被告帝硫に到達した催告(この点は同被告の認めるところである。)をもつて時効が中断した旨の主張をするが、右起算時が前説示(六、3の(一))のとおりである以上、右催告はすでに時効期間が満了した後になされたものというべきであるから、右主張は失当である。
八 権利濫用の再抗弁について
原告は、被告帝硫の右時効の援用は、本訴提起に先立つ交渉を意図的に引き延ばして、時効を完成させたものであるから、権利の濫用にあたる旨主張するので、検討する。
<証拠>によれば、原告代理人弁護士は、昭和五四年三月一二日到達の内容証明郵便をもつて、被告らに対し、損害賠償金七〇〇〇万円の支払を催告した(催告の点は当事者間に争いがない。)後、原告と被告らの間において同年四月六日から交渉が重ねられたが、原告が被告らに対し七〇〇〇万円の損害賠償金の支払を求めたのに対し、被告らは、時効の問題も含めて、基本的にその責任はないと考えているが、交渉の過程で被告帝硫の責任を認める余地はないではなく、その場合は被告帝硫に資力がないため被告東レがこれに資金援助することになるが、現段階では現実的解決としてある程度の見舞金支払による解決を図りたい旨を述べ、交渉は進展せず、第四回目の昭和五四年一〇月三一日の交渉の際、次回は一一月二六日に交渉を行うこととしたが、実際には右期日には交渉は行われないこととなり、事実上交渉は終了したこと、そして、原告は同年一一月三〇日到達の内容証明郵便をもつて再び被告らに対し催告を行い、その後昭和五五年五月八日にいたり、本訴を提起したことが認められる。
右認定の事実をもつても、被告帝硫が示談解決の意思がなく専ら時効を完成させる意図をもつて交渉を引き延ばして時効期間内の訴提起を妨げたものとは判断し難いし、その他、本件全証拠によつても被告帝硫の時効援用が権利濫用に該当するものと認めるべき事実は認められない。
九 結 論
以上判示したとおり、被告東レについては、原告主張の不法行為法上の注意義務及び安全配慮義務の各違反並びに被告帝硫の損害賠償債務の引受又は保証はいずれもこれを認めることができず、被告帝硫については右各義務違反は肯認できるが、これによつて原告に損害が発生したとしても各損害賠償請求権はすでに時効によつて消滅していることが明らかである。したがつて、原告の被告らに対する本訴各請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山之内一夫 裁判官佐村浩之 裁判官島田周平は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官山之内一夫)
別表一
年度
(4月から翌年3月まで)
年齢
年収
新ホフマン係数
遅延損害金
1
S44
43歳
1,150,100
45.4.1~完済まで
2
45
44
1,349,100
46.4.1~完済まで
3
46
45
1,517,400
47.4.1~完済まで
4
47
46
1,716,000
48.4.1~完済まで
5
48
47
2,110,200
49.4.1~完済まで
6
49
48
2,593,700
50.4.1~完済まで
7
50
49
3,005,800
51.4.1~完済まで
8
51
50
3,188,400
52.4.1~完済まで
9
52
51
3,494,200
53.4.1~完済まで
10
53
52
3,682,600
54.4.1~完済まで
11
54
53
3,866,730
55.4.1~完済まで
12
55
54
4,143,500
56.4.1~完済まで
13
56
55
3,658,900
57.4.1~完済まで
14
57
56
3,860,500
58.4.1~完済まで
15
58
57
3,860,500
59.4.1~完済まで
16
59
58
3,860,500
~68
~67
7.944
合計
30,667,812
合計 73,865,442円
別表二
(円)
受給年
労災年金等
厚生年金
じん肺協定に基づく
特別加算金
合計
昭和44年
336,000
336,000
45年
540,000
540,000
46年
540,000
540,000
47年
540,000
540,000
48年
450,000
173,250
623,250
49年
500,000
341,639
841,639
50年
1~3月 100,000
405,591
1,140,981
4~12月 635,390
(うち特別支給金232,485)
51年
1,059,579
( 〃 324,064)
484,433
1,544,012
52年
1,260,570
( 〃 304,508)
557,332
1,817,902
53年
1,555,608
( 〃 313,892)
600,516
2,156,124
54年
1,618,756
( 〃 326,526)
628,907
2,247,663
55年
1,808,200
( 〃 364,428)
672,583
2,480,783
56年
1,953,112
( 〃 393,631)
729,233
2,682,345
57年
2,019,800
( 〃 407,000)
767,250
2,787,050
58年
2,074,125
( 〃 416,550)
782,600
2,856,725
59年
1~9月 1,677,825
( 〃 333,900)
586,950
2,264,775
合計
18,332,965
6,730,284
336,000
25,399,249